「われ思う故にわれ有り」の意味
「われ思う故にわれ有り」哲学者デカルトの「方法序説」の中の有名な言葉です。
分かりにくい表現ですが、一般には次のように解説されています。
どんなに疑っても思考する私という存在自体を疑うことはできない
これに対して、ああだ、こうだと批判しても大して意味はない、と私は思うのです。
なぜならば、デカルトが目指したのは、ユークリッド幾何学の美しい体系を哲学に移植することだったと私は思っているからです。
ユークリッド幾何学の体系は、公準を定義し、その公準に基づいて論理的に定理を証明していくという整然とした体系です。
「われ思う故にわれ有り」はユークリッド幾何学における公準にすぎません。
ちなみに、ユーグリッド幾何学の五つの公準は、次のようなものです。
①異なる2点に対して、これらを通る直線を引くことができる
②直線の両端は限りなく伸ばすことができる
③すべての直角は互いに等しい
④任意の中心と半径に対して円を描くことができる
⑤ある直線に対して、直線上にない点を通り、かつ直線と交わらない直線は1本のみ引ける
このうち、⑤の公準を否定してつくられたものが非ユークリッド幾何学です。
つまり、ある学問の公準自体を否定したところで、別の学問が出来上がってしまうわけです。
よって、「われ思う故にわれ有り」自体を必死に批判したところで、「そういう考え方もある」と言われておしまいで、「デカルトの言うことは間違っている」とはならないのだと思うわけです。
2025年07月15日 08:48